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2008年06月23日

慰霊の日 沖縄の終戦記念日

今日は慰霊の日

糸満市まぶにで福田総理も出席して、慰霊の日の追悼式があった。


沖縄は第二次世界大戦で地上戦が行われ、民間人の4人に1人が死んだという。

私の父の兄弟も戦争で死んだ。
母の父親は爆弾が近くに落ちて、命拾いはしたものの、耳が聞こえなくなった。

昨日も、テレビでは元日本兵だった人の戦争の証言、
民間人の戦争の証言が放映されていた。

決して涙なくしては聞けない惨い内容ばかり。
そして、話す人も悔やむの涙、悲しい涙、恐ろしさの涙。
人間が人間でなくなる戦争を、話すことによって辛い追体験をしているのだろう。。。。

戦争体験者の言葉
「戦争の話はしたくない、なぜなら、戦争の話をしたら、(胸を叩いて)ここが苦しくなって、夜も寝ることが出来なくなるから。」

「しかし、戦争の恐ろしさを話しておかないといけない思って、最近は話すようにしている。戦争は恐ろしいから、絶対にやってはいけない。このことを言わないといけないからね」



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Posted by ブロッコリー at 16:05│Comments(3)大事なこと
この記事へのコメント
私は祖父母と多くのいとこを亡くしました。

叔母は子供4人と夫と自分の両親、夫の両親そして自分の
左腕を無くしました。

戦後は一人残った娘を女手一つで育てましたが、

戦後しばらくの間精神がおかしくなっていたと聞きます。

それでも気を取り直し片腕で花を栽培し、たらいにのっけて満員バスに持ち込み


宜野湾から嘉手納の基地内に持ち込み生活をしていました。


すごい時代ですごいパワーだったと思います。
Posted by 不良オヤジ不良オヤジ at 2008年06月23日 18:16
私の祖母と母のきょうだいが亡くなり…
残ったのは私の母と祖父だけでした~
母にとって、これからの辛い状況の始まりだったのかもしれないです。
母は生きて、私生まれて…
皆さんの命を食べて生きてるのだな~と思い知らされます。
Posted by 三角食堂 at 2008年06月30日 18:42
コメント有難うございます。

沖縄の戦争の話はほんとに辛い。
本人、身内、身近であればあるほど辛い。
しかし、何らかの形で発信し続けなくては。

あの世代に生を受けた人々の苦労は並大抵のものではなかったことだと思います。
そして、その時代の人々が「今の沖縄の基礎」を築いたのだと思います。
既に老人世代になっている方々ですが、沖縄の宝です。
Posted by イシイシ at 2008年07月05日 10:26
 
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