1月の中旬に父親が死にかけていた。
この言葉は病院のDrが言ったので多分間違いないと思う。
それに実際に父親はかなり食も細くなっていたし、
水分も欲しがらず、おしっこも少なく、一日のほとんどをウトウトと寝てばかりいた。
往診に来たDrから
「カリウムの数値が6.8、危険な状態です、入院を勧めます」
と言われたが、母親は
どれくらいの危険かは認識しておらず、
「先生、最後は家で見ますから入院はいりません」
「それはご家族皆さんの気持ちですか?娘さんはどうですか?」
「私は母親の意見と同じです」
「では、入院はしないという事でよろしいでしょうか?」
「その前に先生、もし入院しないと父はどうなるのですか」
「そうですね、もってあと2・3日」
「先生、それはどういうことですか?死ぬってことですか」
「その可能性が高いです」
「
へええええっ!先生、あと2・3日!ホントですか!大変!すぐに入院させてください」
の母親の最後の言葉にDrはすぐに紹介状を書き、父はかかりつけの総合病院の救急診療科に運ばれた。
そして、総合病院診療科に入ってたっぷりと1時間以上経った後、気を揉む私たちに
若いDrが
「だいぶ弱っていますけど、ご家族はどのような治療を望んでいますか?全身弱っていますし、透析を始めますか、胃瘻(いろう)をしますか?」
「
へえ?、、透析!胃瘻(いろう)!えええっ!それは考えてないですが…」
「ここは病院ですから患者さんが来たらまず治療しなくてはならないのです、もし治療をしないのならもうお帰りになってもかまいませんが」
「ええええ!父はどうなっていますか?」
「今点滴をしているのですが、…」
「このまま帰るということはあと2・3日で死んでしまうんでは?…」
「
そうですね、死というのはだいたいが突然なんです。交通事故もあるし、病死もあるし、死は必ずやってくるのですから。ここは病院だし、病気を治すところですから、、、」
なんて、昨日大学を終えてきたような若いDrが淡々と事務的に話した。
入退院を繰り返し、満身創痍薬漬けの父親だけどこうもあっさりと事務的に帰れなんて言われるなんて…
しかし、それを聞いた母親はしばらくうろたえたが、
「そうだよね、透析も胃瘻(いろう)も苦しめるだけだからもう連れて帰ろう」
と言い出した。
私も父親にこれ以上の治療は厳しいよな、なんて思いながらも、こんな状態で連れて帰るったって、ほんとにいいのか?????
って、悩んで、「そうだ、ケアマネージャーの〇〇さんに相談しよう」
早速病院に駆けつけてくれたケアマネは
「
透析!胃瘻!それとも帰宅か、なんてこと!こんな状態で帰すの??」
と、究極の選択に一緒に悩んでくれたが、人の生き死に迂闊な言葉も言えない
と。。。
若いDrはあのように言ったが、処置室ではずっと点滴が続いていた。
約3時間後にやっと入室を認められた時、
父親の顔には紅が差されたようにほほに血色が出ていた。
いつもひんやりしていた手足も暖かくなっていた。
声を掛けるとしっかりと目を開けた。
「ここはどこか分かる?」
「病院みたい」
ちゃんと言葉も返した。
看護師さんたちが一生懸命に看護してくれていた。
それから2時間後、既に夜になっていた。
本物のDrが説明に来てくれた。
「点滴が効いて、来た時よりだいぶ意識もはっきりしてきましたね。あと2・3日病院で様子を見ましょう」
「先生、これ以上の透析や胃瘻は望まないのですが、」
「そうですよね、とりあえす、今は点滴の効果がでてますのでこの状態で様子を見ましょう。もう少し良くなってからお家に帰った方が良いと思いますので。」
「先生、よろしくお願いします。来た時よりもとっても良くなっています。よろしくお願いします」
連れて帰る、という気持ちになっていた母は先生に入院よろしくお願いしますと言っていた。
その日は私が父親に付き添うことにした。
一旦家に帰り、夜食のパンと読み物の本と暖かいコートを持って救急科に戻った。
父親は私の顔を見ると、開口一番
「ヤーサヌ、ムノーネーラニ」
びっくり、ここ1ヶ月ほど食欲がなかったのに腹がへった、おなかが空いたとは!
早速看護師さんの了解の元、夜食用に持ってきたパンを小さくちぎって口に入れてあげた。
「美味しい?」
「ウン」
「ゆっくり食べてよ、食べ過ぎたらいけないから今日はこれで終わりね」と半分ほどで止めようとしたら
「ナーヒンカンブサン、ヤーサヌ」
と、菓子パンをぺろりと平らげた。
次の日から
粥食も8割がた平らげるほどで、日々良くなっていったが
微熱が出たりして結局2週間入院した。
退院して食欲もあるし、おしっこも良く出るようになった。
以前のように、父親の兄弟たちが入れ替わり会いにきてくれる。