ムーチーを食べながら
今時珍しい、もち粉100%のムーチー
昔から我が家ではこのムーチーしか作らない。
昨日は、実家で、母親の作ったムーチーを食べながら、
叔父さんらを交えてユンタク。
ムーチーの話しから
今の子供達の食育、
食べ物が贅沢だということから、フィリピンのゴミ山で暮らす子供、
親に捨てられたストリートチルドレンの話、
教科書問題になり、
そして、最後は おじさんたちが実際に体験した
第2次世界大戦、オキナワ編 の話になった。
戦争の時の艦砲射撃と照明弾の話。
沖縄の住民は家族や親戚同士で、昼間、墓や壕に隠れていて
夜になると、外灯など無い、暗い中を、
水を汲みに・食べ物を捜す為に、出歩いたり、隠れ場所を移動したりした。
そんな人々が動いている時、
突然に艦砲射撃が始まった。
突然の爆音と共に沢山のカンポウが落ちてくる。
その一つに 照明弾があって、それが炸裂して、
闇夜が、一瞬に昼間より明るくなった。
照明弾はゆらゆらとゆれながら5分以上もかかってゆっくりと落ちて、その間はずっと明るいまま。
そして、そのまばゆい明るさが消える前に新しい照明弾が打ちあがる。
アメリカ兵らは、いつの間にか、
高台に陣地を作り、
夜になって、照明弾の明かりの中、日本兵・住民の別なく、無差別に一掃射撃をした。
艦砲射撃、照明弾、一掃射撃、そこは地獄だった。
テレビの中や映画でない、ゲームではない、ホントの地獄だった。
当時小学校の低学年だった、おじさんたちも
「戦争の地獄絵は今でも、見えるようだよ」
「あの戦を良く生き残れたものだ。」と。
沢山の人が殺され、死体の山が日常だった戦争。
畑や、道に仕掛けられた地雷。
艦砲の薬きょうが爆発して手足をなくした人。
戦争は映画やテレビや遠い外国の話しではない。
私たち戦後生まれには、想像しか出来ない。
戦後に生まれて良かったと、つくづく感じた。
平和のありがたさをシミジミと感じた。
そして、語り継ぐことの大事さを思った。
「戦後しばらくは、良くヒトダマが見えたよね。」
「あそこのモウからどこそこに向かって、毎日のように何人もでみたよ。」
「しかし、いつからか出なくなったネ、」
「そう言えば、そうだったよネ、」
なんて事を、おじさんらは言い出した。
私「おじさんよ、私たちはこれから夜道を歩いて帰るんだよ」
と、言ったら、
「大丈夫、もう今はヒトダマはいないよ、今の時代は人が怖いんだよ。」
ムーチーを食べながら、
あの話し、この話しと、
話はいつまでも続くのでした。
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