てぃーだブログ › 沖縄も雲の上は青空

2012年04月06日

シーミーに思うこと

シーミーの季節。

私の実家のシーミーは親戚一同がお墓で集まって、その後みんなでピクニックと

毎年楽しみな一大イベント。

ところがここ数年のシーミーの思い出は...

寝たきりになった父親の体調不良のこと。

不思議なもので、シーミーが近づくと必ずと言っていいほど体調を崩した。

緊急入院して「合わせたい人がいれば今のうちに・・・」と言われたこともあったし、

死に掛けてなくても具合が悪くなってしまったり。

「シーミーの時はあの世から何かが来るのかねー」
なんて、毎年のように母親と話している。

今年のシーミーにはまだ体調を崩していない。

1月に死に掛けたから、あれで帳消しになったのかな???


ところで、父親の褥瘡はほぼ完治。

先日の外来で
「きれいになりましたね、ご家族が丁寧に手当てして、頑張りましたね。」
と、きれいな形成外科のDRの涼やかな声。

この言葉は母親への勲章。

  

Posted by ブロッコリー at 21:26Comments(0)TrackBack(0)雑記

2012年03月06日

父の褥瘡(じょくそう)・床ずれとも言う

寝たきりの父のお尻に出来た褥瘡。

なかなか治らず段々と大きくなってきていた。

先月、往診のDrが総合病院に予約を入れてくれた。


形成外科のDrは若くてきれいな女医さん。

きれいな指に手袋をセットして

「ちょっと失礼しますね。」と言って横向きに寝た父のオムツをテキパキとはがして、

開口一番、「あら、これは上手にやって貰ってますね」

しかし、始めて見る私は、、、びっくりびっくり!

直径6・7cmくらいにお尻の肉が、赤い肉が、

まさに赤肉のかたまりがお尻に開いた穴の中に、、、生肉が二つ

  これ、痛くないの????  と私の心の声


若い女医さんが褥瘡の周りに少し残っている固くなった皮を鋏で切る。

「あのー、切る時に痛みは無いのですか?」と私。

「そうですね、この部分は爪のように固くなって痛みは無いのですよ」と涼やかな声で答える。

しかし、時々父が小さく アガー という声とともにわずかにお尻を動かす。
  ほんとに痛いのか、触れる感じで痛いと言うのか分からないが・・


「ごめんなさいね、すぐに終わりますよ、、、、はい終わりましたよ、よく頑張りましたね・・・」


女医さんは看護婦さんと一緒に患部を洗浄して薬をたっぷり塗って、ガーゼを当ててテキパキと処置しながら、

「褥瘡にしてはいい状態ですね、お家での手当てが良いのですね。」と、終始爽やかな笑顔で言ってくれた。

母からのお願いに「褥瘡の手当ての仕方」を丁寧に教えてくれた。


「ハー、、、上等先生にあたったさー、、良かったさー。」

母は良い先生に診て貰ったと大変喜んでいた。。。。。
私も。。。。




あれから2週間後、

形成外科の予約日。

またも若い女医さんの手によって剥がされた父のオムツの中から出てきた褥瘡、

大きさは1/4ほどに小さくなって片方はほぼピンクの皮で被われ、

別の片方はわずかに赤い肉が見えるがこれもかなり小さくなっている。

  オオウ、ここまで回復するか!と、私はびっくりした!

「あら、ずいぶんきれいになりましたね。これは上手に手当てされていますね。」

と、以前のように笑顔で鈴が鳴るような涼やかな声。

女医さんの笑顔は治療の成果に大変喜んでいる。


今回も丁寧に薬をたっぷり塗ってガーゼを貼ってくれた。


「やっぱり上等先生だね。良かったねー。」



1月に死に掛けたときはほとんどご飯を食べれない状態だったけど、

今は食事も良く食べるようになった。

血色も良くなり、問いかけにもゆっくりだけど受け答えが出来る。

往診のDrが

「欲しがる物は何でも食べさせてくださいね、食が進めば褥瘡の治りも早いですから」

そうなんですね。

ほんとに、褥瘡って治るんですね。。。。




  

Posted by ブロッコリー at 23:12Comments(0)TrackBack(0)雑記

2012年02月11日

プラス思考

1月のある日、台所のテーブルに

〇〇産コシヒカリ

上等そうな袋に入った5k入りの米が置かれていた。

夫がご近所の一人暮らしのおばあさんから貰ってきたとのこと。
おばあさんは時々私の夫に庭の草刈等を頼んで、
その度にお菓子やら飲み物を持たせてくれる。

そのおばあさんに呼ばれて行ったら、
「お歳暮でもらったお米が食べきれないほどあるから」と
持たせてくれたそうだ。

「こんな高級なお米は自分では買わないし、普段は食べられないから、ありがたいね。」
と、夫と二人でおばあさんに感謝感謝。


お歳暮の頂き物と聞いたので、精米月日を見たら
12月26日



と、よく見たら、

平成22年12月26日えええええ! 22年! 



「ねえ、このお米はおばあさんちのどこにあったの?」
「仏壇の下の押し入れから引っ張り出していたよ」

「ねえ、このお米、平成22年産なんだけど」
「へえ、じゃ古米じゃないか、食べられるかな?」

と、封を切って匂いをかいでみるとかすかに古米のような匂いが。。。。

「ねええ、どう思う?」
「何かにおうか?」

「大丈夫そう?」
「そうだな????」

二人でお米の袋に顔を突っ込んでクンクン
    ・
    ・

「そうか、分かった。これは放射能の全くかかってない安全な米だから、私たちにくれたんだ。」
「へえ!、そうも考えられるか?」
「だって、平成22年なら絶対安心だよ!」


「きっとそうだよ」
「そうだね。。。やっぱり良い物なんだよ、ありがたいね。。。」
    ・
    ・
    ・

なんて、ポジティブ思考で行こうと笑った二人でした。

ところで、そのお米、炊いたらやはり古米の匂いがあるので、
豆ご飯やチャーハンで美味しく頂きました。



  

Posted by ブロッコリー at 23:46Comments(0)TrackBack(0)雑記

2012年02月07日

間違い電話から…

久しぶりに義父の声を聞いた。

「こんにちは、☆☆です」
「やあ、※※か」

「あら、義父さん、沖縄のブロッコリーです。」
「そうか、※※か、ところで〇〇は具合が悪いのか?」

「義父さん、沖縄のブロッコリーだよ」
「で、〇〇はどうだ?」

「義父さん、沖縄のブロッコリーですよ、オキナワ」
と、電話口に向かってちょっと大きな声で話すと、

「あれ!オキナワか?、ブロッコリーか?あれ!、、、ええ!いや、、ま、、、元気しとるか?」

「はい元気してますよ、義父さんはお元気ですか?」
「おぉ、おかげさんでな、、、」

てなぐあいで、〇〇は県外に住んでいる義父の弟。

久しぶりに温かみのある義父の声を聞いて、懐かしくて会いたくなってきた。

遠くにいるけど、会うときはいつも暖かい心遣いの出来る夫の両親と実家の方々。

義父も義母もだいぶ年取った。
 (私たちも年取った!)

 
顔を見せるだけでも親孝行
「親孝行したい時には親はなし」
なんてことにならないように。

いつもと変わらぬ明日があるなんて、誰にも分からないのだから。

その日の夜に、
今年の9月に里帰りしようか?」
てな話になりました。

  

Posted by ブロッコリー at 00:33Comments(0)TrackBack(0)雑記

2012年01月27日

死に掛けて、生き返って

1月の中旬に父親が死にかけていた。
この言葉は病院のDrが言ったので多分間違いないと思う。
それに実際に父親はかなり食も細くなっていたし、
水分も欲しがらず、おしっこも少なく、一日のほとんどをウトウトと寝てばかりいた。

往診に来たDrから
「カリウムの数値が6.8、危険な状態です、入院を勧めます」
と言われたが、母親は
どれくらいの危険かは認識しておらず、
「先生、最後は家で見ますから入院はいりません」
「それはご家族皆さんの気持ちですか?娘さんはどうですか?」
「私は母親の意見と同じです」
「では、入院はしないという事でよろしいでしょうか?」
「その前に先生、もし入院しないと父はどうなるのですか」
「そうですね、もってあと2・3日」
「先生、それはどういうことですか?死ぬってことですか」
「その可能性が高いです」
へええええっ!先生、あと2・3日!ホントですか!大変!すぐに入院させてください
の母親の最後の言葉にDrはすぐに紹介状を書き、父はかかりつけの総合病院の救急診療科に運ばれた。

そして、総合病院診療科に入ってたっぷりと1時間以上経った後、気を揉む私たちに
若いDrが
「だいぶ弱っていますけど、ご家族はどのような治療を望んでいますか?全身弱っていますし、透析を始めますか、胃瘻(いろう)をしますか?」
へえ?、、透析!胃瘻(いろう)!えええっ!それは考えてないですが…」
「ここは病院ですから患者さんが来たらまず治療しなくてはならないのです、もし治療をしないのならもうお帰りになってもかまいませんが」
「ええええ!父はどうなっていますか?」
「今点滴をしているのですが、…」
「このまま帰るということはあと2・3日で死んでしまうんでは?…」
そうですね、死というのはだいたいが突然なんです。交通事故もあるし、病死もあるし、死は必ずやってくるのですから。ここは病院だし、病気を治すところですから、、、」
なんて、昨日大学を終えてきたような若いDrが淡々と事務的に話した。
 
 入退院を繰り返し、満身創痍薬漬けの父親だけどこうもあっさりと事務的に帰れなんて言われるなんて…


しかし、それを聞いた母親はしばらくうろたえたが、
「そうだよね、透析も胃瘻(いろう)も苦しめるだけだからもう連れて帰ろう」
と言い出した。
私も父親にこれ以上の治療は厳しいよな、なんて思いながらも、こんな状態で連れて帰るったって、ほんとにいいのか?????
って、悩んで、「そうだ、ケアマネージャーの〇〇さんに相談しよう」

早速病院に駆けつけてくれたケアマネは
透析!胃瘻!それとも帰宅か、なんてこと!こんな状態で帰すの??」
と、究極の選択に一緒に悩んでくれたが、人の生き死に迂闊な言葉も言えないと。。。
 
若いDrはあのように言ったが、処置室ではずっと点滴が続いていた。

約3時間後にやっと入室を認められた時、
父親の顔には紅が差されたようにほほに血色が出ていた。
いつもひんやりしていた手足も暖かくなっていた。
声を掛けるとしっかりと目を開けた。
「ここはどこか分かる?」
「病院みたい」
ちゃんと言葉も返した。
看護師さんたちが一生懸命に看護してくれていた。

それから2時間後、既に夜になっていた。
本物のDrが説明に来てくれた。
「点滴が効いて、来た時よりだいぶ意識もはっきりしてきましたね。あと2・3日病院で様子を見ましょう」
「先生、これ以上の透析や胃瘻は望まないのですが、」
「そうですよね、とりあえす、今は点滴の効果がでてますのでこの状態で様子を見ましょう。もう少し良くなってからお家に帰った方が良いと思いますので。」
「先生、よろしくお願いします。来た時よりもとっても良くなっています。よろしくお願いします」
連れて帰る、という気持ちになっていた母は先生に入院よろしくお願いしますと言っていた。

その日は私が父親に付き添うことにした。
一旦家に帰り、夜食のパンと読み物の本と暖かいコートを持って救急科に戻った。

父親は私の顔を見ると、開口一番
「ヤーサヌ、ムノーネーラニ」
びっくり、ここ1ヶ月ほど食欲がなかったのに腹がへった、おなかが空いたとは!
早速看護師さんの了解の元、夜食用に持ってきたパンを小さくちぎって口に入れてあげた。
「美味しい?」
「ウン」
「ゆっくり食べてよ、食べ過ぎたらいけないから今日はこれで終わりね」と半分ほどで止めようとしたら
「ナーヒンカンブサン、ヤーサヌ」
と、菓子パンをぺろりと平らげた。

次の日から
粥食も8割がた平らげるほどで、日々良くなっていったが
微熱が出たりして結局2週間入院した。


退院して食欲もあるし、おしっこも良く出るようになった。
以前のように、父親の兄弟たちが入れ替わり会いにきてくれる。






  

Posted by ブロッコリー at 23:28Comments(0)TrackBack(0)雑記

2011年08月25日

台風11号お前もゆっくりと来るのか?

今年は本当に台風の当たり年。
台風11号が沖縄を伺っている。

しかも9号と同じように非常にゆっくりと。

  

Posted by ブロッコリー at 23:20Comments(0)TrackBack(0)季節

2011年02月09日

椿の季節

庭の八重咲きの椿、鮮やかなピンクの花びらがきれいだ。




ご近所でも桜が満開。




先週まで寒かったが、今週になって寒さが緩んで暖かくなった。
今日は春物の上着で外出。
なんだかウキウキしてきた。
  

Posted by ブロッコリー at 22:48Comments(0)TrackBack(0)季節